巣園流と諸流派

(1)巣園流について

我が国の水泳は、江戸時代には武芸として流派を競い、明治時代以降は学校教育に取り入れられ、水府流や神伝流が普及した。大正の末期、本学園創立者遠藤隆吉先生は、千葉県北条小松原海岸に水泳寮を建てられ、館山湾で行う水泳教育の目標についての研究会を重ねられ、世界の水泳を綜合した水泳教育の理念を樹立せられた。それが巣園流である。 爾来八十年、巣園流の教育は太平洋戦争で一時中断したが、昭和34年に再建せられ、門人の数も戦前、戦後を通じ通算2万名に達しようとしている次第である。

(2)日本泳法について

日本泳法とは、日本古来の泳ぎ方で、現在まで存在しているものは主に、武芸の一つとして伝えられてきた泳法である。 日本泳法は外国にその例をみないほど数多くの泳ぎ方がある。たとえば横泳ぎ の種類だけでみても、十種類以上を数えることができ、総数で五十ないし六十種にも達する。 現在、日本水泳連盟で公認している由緒正しい伝統のある流派は十二あるが、その発祥地を北から項にみていくと、次のとおりである。すなわち水府流、向井流、水府流太田派、観海流、野島流、小池流、岩倉流、水任流、神伝流、臼杵流、小堀流、神統流である。 明治時代に生まれた水府流太田派を除いては、多くは江戸時代にその起源をもっている。 日本泳法には、武術として常に敵前にある心掛けを強調し、体勢にも、構え、目付き、残心など武術的な要素を必須とする泳ぎが多い。そのほか、武技として必要な泳技のみならず、泳ぎながら弓を射、銃を撃ち、刃や槍を振い、甲冑を着けて泳ぐことや、水馬、操船術なども含まれる場合がある。 泳技としては、流水を横切る泳ぎ方、長距離を泳ぎきる泳ぎ方、物体を持ったり、水面上でなにか仕事をするのに便利な泳ぎ方などと工夫された。 時代が進むにつれて実用的な泳ぎ方のほかに、美しく巧みに泳ぐという技術的なものも加えられるようになった。現在のこの形式美を備えた泳ぎ方は、日本泳法の最大の特徴として世界に冠たるものとなっている。 日本泳法の代表的な泳ぎ方には、一重伸、二重伸、片抜手、大抜手、小抜手、諸抜手、手足搦、水書、浮身などがある。 巣園流では、日本泳法の中でも水府流太田派の泳法を中心に泳法の訓練を行っている。

出典:『巣園流50周年誌』